不定期更新
2005.11.15


 「実録JBC・後」

「実録・JBC(後)」  競馬の話題とは、基本的にナマものであり足が早い。11月3日「JBC」が終わり、すでに10日以上も過ぎてしまった。古今、賞味期限切れの観戦記など、犬も食わないといわれている(たぶん)。で、レースの細々は改めて触れないことにした。代わりに久々に遠征した名古屋雑感、どうでもいいことを書かせていただく。タイトルの“実録”とはぜんぜん合わない。自分勝手ですみません。

 その当日。最初は早朝出発、競馬場入り前に名古屋城など見てこようと思ったのだが(筆者は隠れ観光好き)、ヤボ用で断念し、品川11時の新幹線になった。「のぞみ」は1時間におよそ5本、どんどん出ている。知らなかった。以前は、ひかり、ひかり、こだま…、ときどき「のぞみ」ではなかったか。ともあれホームに滑り込んできたのぞみは、拍子抜けの閑散だった。名古屋まで90分、確かに驚異的な速さだけれど、すでに希少価値が薄れている。さらに片道10070円(自由席)の割高感。たとえばこの10070円は、松屋の牛めし350円×30日に相当する。時間を金で買う時代は終わった、そういえないこともない。

 名古屋着。昨年デビューという「あおなみ線」に乗車する。新幹線改札口から至近距離できわめて便利。第3セクターらしく運賃260円と少々高いが、ほぼ競馬場直通だから文句もいえない。この線は市街を南へずんずん進む。車窓には、運河、工場、倉庫、かわるがわる現われ、東京でいえば浜松町〜大井競馬場〜羽田空港のモノレール、あるいはお台場行きのゆりかもめに近いだろう。いずれにせよ、この日の乗客は競馬ファン一色だった。名古屋から12分。同じ目的を持ち、同じ新聞を持った老若男女が電車からはき出される。

 平常2000人という競馬場に、およそ10倍の20680人が詰め掛けた。駅からの道がすでに牛歩の歩みで、入場門をくぐった瞬間、ああ今日は馬券はダメかと観念した。携帯で連絡し、旧友の森徹也氏(元競馬エース記者・現在血統アドバイザー)とパドック付近で立ち話。「盛況は嬉しいけれど、こうなると馬券はもうパットでしか買えません」。確かにそう。ただ話は前後するが、クラシックの締切り5分前に窓口を眺めると、もう購買客の列はなく、最初あきらめた馬券をそこでやはり買ってしまった。カスリもせずに売り上げ貢献。ひとまず自分をほめておく。

 場内視察、いや見学に徹して進む。入場門右手に「チアリーダーショー」が繰り広げられていた。若い女の子がイエロー基調のコスチュームで、狭いステージを力いっぱい跳んだり跳ねたり。「ジェイ、ビー、シー―、おおぅ、レッツゴー!」とか。この感じ、そもそも書き言葉で表示するのが難しすぎる。カマタ青年(愛知県出身23歳・イケメン、気鋭の編集部員。先週メールマガジンで観戦記執筆)のいう“名古屋嬢”かどうかはわからない。最初チェッと舌打ちし、いい気なもんだなどと見ていたのに、最後は頬がだらしなく緩んでいる。若くていいな、元気でいいな。中高年オヤジは、このピチピチ感にきわめて弱い。

 当日計11レース、すべて“冠”がついていた。周知の通り今年はJBCシリーズ全体が“フサイチネット”協賛だが、それに加え1レースごと「○○賞」のタイトル。思い出せば昨年の大井もそうだった。たとえ下級条件でも、格好がつくという意味でイメージは悪くない。こういう場合、少しローカル色が加わると、さらにほのぼの感がわいてくる。第4レース「渡鹿野島シーサイドホテルつたや賞」、第7レース「山は富士酒は白雪賞」など、あっぱれのネーミング。そしてチアリーダーショーのすぐそばでは「物産展」もあった。名古屋コーチンの焼き鳥、コシが自慢の本場キシメン。とにかく、人を呼ぼう、アピールしよう、精いっぱいの気持ちはわかった。

 思い出す。JBCの原形、起点といえば、かつて北海道で施行された「ブリーダーズGC」だったろう。その第1回を見に行ったこと。メイン2400メートル(クラシック)は安藤勝・フェートノーザンが圧勝した。それより何より、当時札幌競馬場はいま思うとソラ恐ろしいほどの熱気にあふれ、競馬自体、すぺて右肩上がり、勢いに満ちていた。アラブもまだ元気なころで、当日プログラムは、サラ・アラブ、2〜3歳、各々No.1決定戦が組まれ、さらに牝馬限定、芝レースなど、それこそ“一日豪華主義”だったと記憶する。生産地と道営競馬が一体となった画期的なカーニバル。JRA=地方の垣根はともかく、競馬の行く末に、誰も不安など感じていない。

 平成元年。札幌競馬場の“物産展”は、コンブとスルメ、さらに牛乳、バター、チーズ…。場内の笑顔は競馬ファンにとどまらず、ごくノーマルな旅行者の方が北海道を満喫し、応援する、そういうノリがあったと思う。記者自身は特産“半干しシシャモ”が美味と聞き、宅急便で友人にいくつか送った。大好評。このときは浦河の牧場主・田中哲実氏と同行、二泊まで厄介になり、楽しい思い出ばかりが残っている。田中氏は知る人ぞ知るトウケイニセイの生産者。当時若きブリーダーとして輝いていた。今もときどき電話して古い話を語り合う。長い長い競馬不況。友情は変わらない、変わらないけれど、2人ともどこかタソガレてしまったのは、お互いの口調でわかる。

 断片的、独善的な話で申しわけない。冒頭「レース詳細は書かない」などとしたが、スプリント・ハタノアドニス2着、クラシック・レイナワルツ3着健闘は、むろん避けて通れない。とりわけ、強豪相手にあわやの夢を演出したレイナワルツ。鞍上・児島騎手、思い切りのよさが素晴らしかった。4コーナー、場内の少しすいた位置で観戦したが、結果的にそれでよかった。「よーし児島、そのまま行け、そのまま、そのまま!」。最も大声援を発した人は、どうやら3連単をとったらしい。記者と同年輩の中年男性。跳びあがっていた。23万馬券なら跳びあがるわな。5頭ボックス60点買い、的中200円分と推理した。よけいなお世話か。

 夕刻6時少し前の新幹線。結果くたびれもうけの遠征だったが、なぜかそう疲労感はなかった。東京行き「のぞみ」はまたしてもガラガラで、“喫煙可”の3号車にゆったり座り、缶ビール(小)をプシュッとあける。来年は川崎…か。さまざま想いもなくはないが、JBCはやはり原則持ち回り。可能な限り、多くの競馬場で続けていくのが理想だろう。何より、その方が地方馬にチャンスが出てくる。しかし来年川崎は2日間開催、1600と2100でやるんだっけな…。ぼんやり考えながら、そのあと1時間ほども居眠りモードに入ったらしい。プルルという電車の振動に目がさめると、もう「新横浜」に着いていた。




吉川 彰彦
Akihiko Yoshikawa

本紙解説者、スカパー!・品川CATV大井競馬解説者、ラジオたんぱ解説者
 常に「夢のある予想」を心がけている、しかしそれでいてキッチリと的中させるところはさすが。血統、成績はもちろんだが、まず「レースを見ること」が大事だと言う。その言葉通り、レースがある限り毎日競馬場へ通う情熱。それが吉川の予想の原点なのである。