HOME
>
日刊競馬で振り返る名馬
>
タマモクロス
特別復刻版
1988年10月30日
第98回天皇賞・春
馬柱をクリックすると別ウインドウで開き大きな馬柱を見ることができます。
数々の白い伝説を残した
凡馬が頂点を極めた12ヵ月
タマモクロスのデビューした1987年は東京の地価が1年間で85%も高騰したり、NTT株が1株160万円で上場されたり、安田生命がゴッホの「ひまわり」を53億円で購入して話題になった年である。僕たちの周りにも「ヤツは地上げで大儲けして自家用ジェット機を乗り回している」とか、「株屋のアイツは夏のボーナス500万、5億の豪邸を建てた」なんて話がゴロゴロしていたもんだ。
もっとも、昼間は仕事、夜は麻雀、土日は馬券。それ以外のことに目を奪われることのなかった僕には、バブル経済など無縁の出来事だった。バクチ打ちの道を選び、小学生、中学生、高校生の男の子3人に豚妻。扶養家族4人を養う毎日が修羅場だったからだ。
◎奇跡は人が起すもの
1987年3月1日。貧弱な体の芦毛馬はデビュー戦(阪神・芝2000)を逃げまくったものの、7着。2戦目は4着、初勝利は3戦目の未勝利(阪神・ダート1700)だった。4戦目の父内国産400万では前の馬の落馬に巻き込まれ、初戦から手綱を取る南井克巳を落としてしまい、続く札幌戦も6、2着。帰厩した秋の阪神戦も3、3着。ここまでの成績は〔1.1.2.4〕。ごくごく平凡な馬だった。ところが、10月18日の400万(京都・芝2200)でタマモクロスは後続に7馬身差の強いレースぶりを見せ付けて、多くのファンに次走の期待を持たせたのである。
約束通り11月1日の藤森特別(京都・芝2000)は三角から先頭に立つと、あごを前に突き出した独特の走法で柔軟な筋肉をリズミカルに躍動させて8馬身も後続をちぎったのである。前走は半信半疑だったが、このレースでわれわれはこのグレート・デンのような馬に注目したのである。ちょうどこの日、生まれ故郷の錦野牧場が倒産し、生産牧場の名義が変わったことなどタマモクロスは知る由もない。だが、錦野昌章氏と母、妻、3人の子供たちの祈るような想いが伝わったのかもしれない。念ずれば通ず。奇跡は神ではなく人の意思が起すものだからだ。
◎強い馬が強くなるのだ
「1升枡は1升枡」という厩舎言葉がある。もともと能力のある馬がさまざまな弱点を矯正なり解消して成績を上げることはあっても、能力のない馬が強くなることはない。その馬のスケールを容量で表現する言葉なのである。 4歳春(旧表記=以下同じ)の終わり、10戦目で2つめの勝ち星をあげたアカネテンリュウが秋のセントライト記念を勝って西下。菊花賞を制したことにより長い間“昇竜”の代名詞とされた。だが、やんちゃなアカネテンリュウを担当した厩務員が老齢で、飼い葉を食わせると暴れるので制限していたため、橋本輝雄厩舎に転厩させ、若くて元気な水溜厩務員に代えることによって走るようになったのである。もう一度繰り返すが、弱い馬が強くなることはないのである。
とするなら、わがタマモクロスはなぜ4歳秋までは弱かったのか? 小原調教師の話しからは、他馬を怖がったり、飼い葉を食べない馬で、牝馬のようだったという。飼い葉食いは引退するまで細かったが、芝の長い距離に適性があったことと、レース経験を積むごとに勝負根性が加わったことが変身を促した要因だろう。
◎快進撃が始まった
藤森特別から1ヵ月後の12月6日、タマモクロスは初めての重賞に挑んだ。鳴尾記念(阪神・2500)である。稍重馬場にもかかわらず、これを6馬身差レコードでぶっこ抜いた。小原師は「ようやく本物になった」と思った。だが、「確信を持った」のは1988年1月5日の金杯(京都・2000)だったそうである。鳴尾記念より3キロ増56キロのハンデ。他馬を怖がっていた芦毛の華奢な馬が、最後方からインぎりぎりをこじあけて差し切ったからだ。3月13日の阪神大賞典(阪神・3000)はダイナカーペンターの思わぬ粘りに手こずったものの同着で連勝を続け、4月29日の天皇賞(京都・3200)に駒を進めたのである。
◎南井克巳と白い猟犬
猟犬グレート・デンの走りでタマモクロスは馬群を稲妻のよう切り裂き、天皇賞は3馬身差の楽勝だった。父シービークロスは白い稲妻と呼ばれた。松山吉三郎調教師の指示に従い、吉永正人騎手が度胸満点の離れたしんがりから、直線強襲で金杯、毎日王冠、目黒記念を勝った。僕は父シービークロス(フォルティノ×ズイショウ)の血統より、祖母ズイショウ(パーソロン×キムラス)の血統のほうが記憶が鮮明なのである。沢峰次騎手(沢昭典騎手の父・現調教師)の乗るズイショウにはトラックマン時代に何度か馬券でお世話になっているからだ。この血統を3代に亘って見ているこの僕が断言するのである。タマモクロスの走りは父シービークロスや祖母ズイショウとは違う。白い毛色は伝わったが、あごを突き出す走りは父より母グリーンシャトー(父シャトーゲイ)の走法だ。もうひとつ加えるなら父シービークロスよりずっとスケールが上である。
◎巡り来た春
それはともかく、タマモクロスが天皇賞・春を制したと同時に、鞍上の南井克巳にとっても初めてのGI勝ちだった。まだある。天皇と同い年の87歳、馬主歴50年の三野オーナーにとっても、GIの口取りは初めてのことだった。
前年の1987年、南井克巳(南井大志騎手の父・現調教師)は16年目にして初めて田原成貴、河内洋の壁を破ってリーディングジョッキーになっている。
目をくりくりさせて「この未勝利戦はどっちが強い馬がいるの?」出馬登録所で、最後の最後までより少ない頭数のレースを、より相手の弱いレースに自分の馬を登録するために粘る、デビュー間もない坊主頭の南井克巳騎手。
「すばしこくて、熱心なアンチャンだな」。30年ほど前の記憶は今でも鮮明に残っている。「一回は動いて一生懸命見せ場を作り、ファンにアピールする騎手」を目指した好漢・南井克巳はタマモクロスとともに開花したのである。一流騎手になれるかどうかは、名馬に巡り合えることにかかっているのである。
◎1988年白い秋
天皇賞から44日後の6月12日、余勢を駆って宝塚記念(阪神・2200)も楽勝したタマモクロスは、新たに出現した白狼・オグリキャップとの死闘を予感するかのごとく、夏場は充電に当てたのである。貧弱な馬だったが、だましだまし使いながら、本物になったタマモクロス。「負けて覚える相撲かな」という言葉があるが、実戦で鍛え抜かれた馬こそ芯から強くなるのだと、僕は思うのだ。
それはともかく、4ヵ月休養からぶっつけの10月30日。天皇賞・秋は重賞6連勝中の4歳オグリキャップが単勝支持率35.3%。1歳上のクロスは29%で1番人気は譲ったものの、ファンの興味は単枠指定の芦毛2頭のどちらが強いか、だった。
距離2000を意識したか、スタートしてまもなく南井・タマモクロスは二番手で折り合う。河内・オグリキャップは中団。直線に入ると、南井騎手はオグリキャップが1馬身差まで詰め寄るのを待ってから追い出し、迫れば伸びる二枚腰で1馬身1/4突き放す完勝だった。オグリキャップの連勝を阻止するとともに、タマモクロスはこれで重賞6連勝を含む8連勝。ちなみに春・秋天皇賞連覇は史上初めてのことだった。
続く秋第二弾のジャパンカップは11月27日。単勝1番人気はタマモクロス。2番人気が欧州最強馬のトニービン。3番人気オグリキャップの票数はクロスの半分に下がっていた。 レースではタマモクロスはやや折り合いを欠いたが、しっかり伸びてくる。三角で前が塞がったオグリキャップも伸びてきたが、アメリカの肉食獣を思わせるペイザバトラーの瞬発力がわずかに勝り、1/2差1着。オグリキャップは2着タマモクロスから1馬身1/4差の3着だった。
ちなみに、翌年のジャパンカップでは芦毛牝馬のホーリックスにクビ差2着のオグリキャップだったが、3着ペイザバトラーに3馬身先着。1歳上のペイザバトラーとの力関係を1年で逆転している。
◎勝負の世界の礼儀
「有馬記念を最後に引退」。タマモクロス陣営がコメントしたものの、飼い葉食いが悪く、直前まで出否に迷っていた。12月25日、なんとか態勢を整え1988年を締めくくる芦毛対決が実現した。スタートが悪く、外へ逃げ気味のタマモクロスのリズムは終始悪かった。一方、中山を知り尽くした岡部幸雄を鞍上に迎えたオグリキャップは好スタートから終始スムーズに流れに乗っている。「一度は見せ場を作る」ことを身上にする南井克巳は三角手前からまくって、四角では大外から先団に並ぶ。よほどの力の差があるか、先行崩れのレースにならない限り勝てない乗り方だった。逆にすべてがうまく流れた岡部は“祐ちゃん専用コース”と言われた三〜四角をインで回り、コーナリングの間に楽をする乗り方でオグリキャップを勝利に導いた。しかし、5〜6馬身の距離損がありながら、終わってみれば着差はたった1/2。2キロの斤量差を考えても、タマモクロスの優位性は明らかだろう。
もっとも、僕たちの業界からいえば、古豪に勝たれて引退されるより、来年の夢をつなぐ意味でも、若いオグリキャップが勝ってくれた方がありがたいのである。チャンピオンは勝って引退すべきではない。自分を倒すものが出現したときに身を引くのが勝負の世界の礼儀だと僕は思うのである。
◎タマモクロスの血
1989年1月15日、天皇賞・秋のゼッケン8をつけて引退式を終え、白い猟犬タマモクロスは種牡馬となった。15年間の種牡馬生活で残した産駒は、カネツクロス(エプソムカップ、鳴尾記念、AJCC)、マイネトレドール(東京障害特別)、シロキタクロス(神戸新聞杯)、タマモイナズマ(ダイヤモンドステークス)、ラティール(中山牝馬ステークス3着)、テイエムトッキュー(カブトヤマ記念)、マコトライデン(シリウスステークス)、ダンツシリウス(シンザン記念)、マイソールサウンド(マイラーズカップ、京都記念、金杯)、ウインジェネラーレ(日経賞)などがおり、芦毛のライバルオグリキャップに血の闘いでも完勝している。もうひとつ加えておかなければならないことは、妹ミヤマポピー(父カブラヤオー)がエリザベス女王杯を勝っていることである。妹も同じような猟犬の走りだったことを記しておこう。
2003年4月10日4時45分。タマモクロスは静内町アロースタッドで腸捻転のために急死、19歳だった。
〔梅沢 直〕
☆1988年度代表馬☆
タマモクロス
1984.5.23生 牡・芦毛
シービークロス
1975 芦毛
フォルティノ
Grey Sovereign
Ranavalo
ズイショウ
パーソロン
キムラス
グリーンシャトー
1974 栗毛
シャトーゲイ
Swaps
Banquet Bell
クインビー
テューダーペリオッド
コーサ
馬主………タマモ(株)
生産牧場…新冠・錦野牧場
調教師……栗東・小原伊佐美
通算成績
18戦9勝[9.3.2.4]
主な勝ち鞍
天皇賞・春(1988年)
宝塚記念(1988年)
天皇賞・秋(1988年)
1988年10月30日
第98回天皇賞・秋(GI) 東京 芝2000m・良
[6]
9
タマモクロス
牡5
58南井克巳
1.58.8
[1]
1
オグリキャップ
牡4
56河内 洋
1.1/4
[8]
12
レジェンドテイオー
牡6
58郷原洋行
3